hiromame777のブログ

自分との対話

空っぽ

新しい部屋に荷物を詰めると

 

だんだん部屋らしくなってくる

 

まだ今年の見通しが立っていないので

 

ココロの中もアタマの中も

 

空っぽな感じがある

 

いただいた2年という時間の間に

 

このココロやアタマの中に

 

たくさん詰めて

 

納得して

 

戻りたい

 

 

 

 

友だち代行

報道ステーション

 

「友だち代行」

 

の会社を特集している。

 

 

「大勢の人がいても

 

自分のことをわかってくれる人がいないと孤独」

 

 「自分の弱いところが見せられない」

 

 

自分の弱いところ

 

黒いところ

 

自信のなさ

 

向き合わないで過ごした

 

十数年の学校生活の

 

生み出したものだろうか

 

 

見えるからつらい

 

「先生は見えるからつらいんじゃない?」

 

 

と初任の時に言われた。

 

 

子どもが置かれている家庭環境

 

子どものどうにもならない気持ち

 

先生方の諍い

 

 

共感しすぎると

 

全く動けなくなる

 

または、優しい言葉をかけ過ぎてしまう

 

 

「その優しさは何?今の優しさは将来の厳しさ。今の厳しさは子どもたちの将来への優しさだよ。」

 

とも言われた。

 

 

いくら優しくても、伸ばせない教師ではダメだろう

 

ということ

 

 

子どもたちのバックグラウンドが見える

職員間の状況がわかる

 

だけではなく

 

同時に

 

それをわかった上での強さも必要なのだと

 

教えてくれた

 

 

 

 

AとB

A と B

 

私の周りには二つあるのかなとぼやっと思う

 

 

Aは

 

 

 

 Bは

 

 

 

 

 

なにがちがうのか。

 

 

バスに乗りながらずっと考えてたけど、

 

Aは

 

個人の目標達成のために他の人を励みにする

 

Bは

 

集団の目標達成のためにそれぞれが力を発揮することで個人の力が高まる

 

って感じなのかな。

 

 

まだまだしっくりこない。

 

 

 

Aは

 

個人の変革が強烈に求められる

 

Bは

 

個人の集団とのかかわり方の変革が求められる

 

 

 

まだモヤモヤ

 

 

 

Aは

 

人を変えて環境を変える

 

 

Bは

 

環境を変えて人を変える

 

 

 

個人改革か、環境改革か

 

どっちもあるけれど

 

大流はどっちか。どちらに大まかに流れていくのか。

 

 

どっちにしろ選ぶべきは

 

少数が幸せで、大多数が不幸ではなく

 

大多数が幸せで、少数が不幸でもなく

 

一人残らず幸せを

 

みんなで考え続けられる人と環境を

 

どう整えていくのか

 

 

Aが個人改革だとしたら

すぐにできるができる人とできない人がいる

 

Bが環境改革だとしたら

みんなができる可能性が高まるが、時間がかかる

 

 

短期的にはA?

 

長期的にはB?

 

 

共存できるできないは置いておいて

 

子どもの未来にどんなことが想定されるのか

 

分からなくても

 

考え続けていかないとと思う

 

何にも考えないで

 

不幸せを出すことだけが

 

 一番やっちゃいけない、Cだと

 

思う 

 

自分ができないことを許す

 

「自分で作るので

    本当にM先生やらなくて大丈夫です」

 

明らかに不機嫌に言った

 

卒業式の飾りの話である

 

ーーーーーーーーー

 

 

最近、調子がおかしかった

 

体調が優れないというのもあるが

 

人と関わる気がおきない

 

どっちかというと

 

無気力感

 

精神も風邪を引いた?(笑)

 

周りの人たちの言うことに

 

いちいち突っかかるような感情が浮かぶ

(言葉には出さないが)

 

 

そんな日が続き

(とはいっても2日間だけだが)

 

そんな態度が周りに誤解を生み

 

多少なりとも

 

周りに気を遣わせたり

 

傷つかせたりした

 

いつも通りに戻せばいい

 

という話なのだが

 

難しい

 

 

殺気みたいなものが

 

身体中から出ているのが

 

自分でも分かる

 

自分でも自分が居心地が悪い

 

 

ただ、

 

「私は間違っていない」

 

という

 

固い殻のようなものが

 

常に頭の中にこびりついている

 

 

そこに

 

見えたもの聞いたもので

 

自分の考えに合わないものがあると

 

コツンとぶつかる

 

 

よく言われて嫌なことを言われたときに

 

カチンときた

 

という「カチン」ときっと同じ

 

 

このままだと

 

自分も相手も不幸だわ

 

 

と分かってはいるが

 

どうやって直せばいいのか分からず

 

ちょっと絶望的な気持ちになる

 

 

誰かに話を聞いてもらったり

 

アドバイスをもらったり

 

するのも一つの手だが

 

私はそれが苦手

 

 

今回は

 

自分でもう一回

 

一つ一つの事例を思い出して

 

振り返ることで

 

少し整理がついた

(俗に言うアンガーマネジメントかなと思う)

 

 

自分の考え方を振り返った結果

 

とっても幼稚なこと

 

「周りの人に尊重されたい」

 

という思いの存在

 

「尊重されていない自分が自分で許せない」

 

という思いの存在

 

 

今年度あと1ヶ月半

 

卒業式までの準備

式歌の指導

子どもとのかかわり

 

一人では全部できないのに

 

その「できない」を認められなかったために

 

こういう事態に陥った

 

自分で自分に

 

「できません」って言ったら

 

少しスッキリとした

 

 

きっと周りの人たちは

 

何も前と変わらない

 

私に協力しようとしてくれている

 

 

自分で勝手に自尊心をさげ

 

勝手に自信を失い

 

勝手にピリピリしていた

 

だけである

 

ーーーーーーーーー

 

私の殺気を受け、気を遣ったM先生は

 

今日職員室の机の上に山積みのおはながみを乗せて

 

退勤時間過ぎているのに

 

綺麗な花をたくさん作っていた

 

 

 

明日もM先生がお花を

 

「作り始めたら止まらなくなっちゃって」

 

と言いながら作るのだと思うと

 

申し訳なくて気が重い

 

 

一人残らず幸せへの道

 

 

 

1つだけ願いが叶うとしたら

 

 

「世の中の人 全員が幸せ」

 

 

一人残らず

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなの無理だ

 

必ず

 

誰かの成功は

 

何かの犠牲の上に成り立っているから

 

 

 

 

 

その通り

 

 

 

 

 

でも

 

 

 

 

勝ち負けで競争する時代は

 

終わりにさしかかったはず

 

 

 

 

 

 

全員が幸せになる道を

 

模索する時代に向かっているはず

 

 

 

 

 

 

資本主義の限界

 

 

社会主義とも違う

 

 

 

 

天変地異や不況などのつらい時

 

争い、独裁なんかの考えない方法は楽で簡単

 

対話の中で一人一人が考えて

 

一人一人を尊重できる社会は

 

それよりはるかに難しい

 

 

 

 

 

 

願いを現実にするためには

 

 

 

それをすぐにあきらめない

 

自分の自分たちの力を信じる

 

周りの人と対話する

 

 

 

世界平和なんて大それたものではなく

 

自分と自分の周りの人たちが幸せになること

 

なれることを信じる

 

 

 

できっこないって

 

思わずに

 

自分のできること

 

見つけていく

教育の答えは未来にある

教育に

 

ただ一つだけの

 

正解なんてない

 

ただし

 

(現在においては)

 

 

 

今やっていることに

 

自信もって

 

正しいと言っている方が

 

怪しいけど

 

子どもたちと向き合う毎日では

 

いくつかの方法の中から選ぶ

 

しかない

 

 

絶対正しい

 

ということはないけれど

 

 

少なからず

 

その選択が

 

どうだったかの振り返りを

 

行う責任が 

 

 

やっぱりあるのだと思う

 

 

 

今日自分が選択したことで

 

子どもたちが明日どうなっているか

 

一週間後どうなっているか

 

一ヶ月後どうなっているか

 

3ヶ月後どうなっているか

 

半年後どうなっているか

 

1年後どうなっているか

 

10年後どうなっているか

 

将来どうなっているか

 

 

そんなところまで

 

実際には振り返れないけど

 

 

 

それを想像して

 

今を

 

選択することに

 

意味はあると

 

思う