hiromame777のブログ

自分との対話

要は気づくか気づかないか

自分の話している言葉や態度が

 

子ども根幹を作ることに

 

気づくか気づかないかの違い

 

 

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今日、校内研究会で英語の授業案説明会があった

 

とても筋が通っていて

 

資料も明確で

 

流れについての問答はほとんどなかった

 

 

小中合同の研究だから、

 

英語の授業に意見を言うというのが難しい

 

というのもあった

 

 

今回の授業ではマララさんのスピーチが取り上げられている

 

説明の途中、授業者が

 

「子どもたちは物を知らないのできっとマララさんの事は知らないだろうと思います。だって、アウン=サンスー・チーさんも知らなかったんですよ。あれあれ、マザーテレサだって知らないんですから」

 

と言って笑った

 

この先生は普段も、

 

「こんなことも知らないのか」というような態度をとっている

 

 

一通り、授業の質疑応答が終わり、

 

教頭先生方の熱い、授業者を鼓舞するご指導後

 

校長先生からあったご指導は

 

「◯◯先生の英語の授業を受けて、英語が好きになった、という生徒を是非増やして欲しい」

 

ということのみ

 

 

説明会が終わった後

 

再任用2年目の超ベテランの先生が

 

教頭先生に何やらずっと語っている

 

 

すべては出会いだというはなしだった

 

教材との出会い

 

教師との出会い

 

 

子どもがものを知らないと

 

バカにするような態度では

 

子どもが英語を好きになるはずがない

 

が、残念ながら

 

こういう先生が結構多くいる

 

それではいけないと熱く語る

 

 

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英語の授業案説明会だったわけだが

 

校長先生や再任用の先生方が感じ取った事は

 

『その先生の在り方』

 

だったのだろうと思う

 

 

いい授業を作ろうという気持ちはある

 

そのための準備も

 

事前授業もやっている

 

なのに何か問題があるのか

 

とその先生は思うと思う

 

 

 

一言で言えば

 

『子どもとの向き合い方』

 

 

授業をどうしたいかより 子どもをどうしたいか

 

そういう思いが必要だと

 

30歳以上も年上の先達が

 

強く訴えてくる

 

 

このことの意味を

 

もっと深く考えていかないといけないと思う