hiromame777のブログ

自分との対話

子どもを信じて待つの正体

子どもを信じて待つの

 

信じるとは何を信じることなのか

 

 

私は子どもの可能性だと思う

 

その子どもができるようになる

 

という可能性

 

できる力がある

 

という可能性

 

 

その可能性っていうのはつまり

 

まだ子どもが出来ない

 

未発達なこと

 

なんだけど

 

発達可能だと教師自身が

 

信じる領域のこと

 

だとすると

 

それは

 

ヴィゴツキーのいう

 

発達の最近接領域がある

 

ということを

 

信じて待つ

 

ということになるのではないか

 

 

だとすると

 

発達の最近接領域は一人ではできないけど

 

誰かとやればできる

 

(そして明日は一人でできる)

 

領域だから

 

信じて待つときに

 

子どもを一人ぼっちにしてはいけない

 

つまり

 

子どもが誰かとできるような

 

仕掛けをして待つということが

 

大事なのではないか

 

 

私なりに考えた

 

「子どもを信じて待つ」の正体は

 

「子どもの発達の最近接領域があることを信じて

 

誰かとできるような仕掛けをして待つ」