hiromame777のブログ

自分との対話

子どもの周りにいる大人同士がもっと話すべきだと思う

今日、

 

明日の道徳の時間に授業に参加していただく

 

地域の民生委員さんのところへ行って話をした。

 

授業の流れを伝え、

 

どんなことをお話しいただきたいかを話した。

 

 

パッと行って、パッと帰ってくる予定だったが、

 

この授業を行うねらい、来ていただくことで子ども達にどんなことに気づかせたいか、を話し始めたら、予定よりも随分長くなってしまった。

 

(たくあんとコーヒーが出てきた(笑))

 

地域で生きる方の

 

子ども達への思い、保護者への思い、地域への思い

 

お茶飲み話といえば、お茶飲み話だが、

 

こんな風に本音で、和やかかつ真剣に、

 

子どもについて地域について

 

話をする場は滅多にない。

 

 

 

学校評議員会などの

 

形式張った特定の人しか出ない立場上参加している話し合いと違うと感じるのは、

 

人と人との対話だということ。

 

 

 

「教員」として、「民生委員」として

 

というよりは、

 

同じ子ども達に関わる一人の「大人」として、

 

子ども達にどう育って欲しいか、

 

どう自分たちが関わっていけばいいか

 

を話せたような気がする。

 

 

 

もちろん、

 

地域に住んでいる住んでいないとか、

 

年齢の違いとか、

 

性格の違いとか、

 

考え方の相違はもちろんある。

 

 

 

けれど、

 

子ども達に対して

 

「よりよく育って欲しい」

 

というねがいは、共有できる。

 

 

 

この方の意見が、

 

地域の方の総意だとはもちろん思ってはいない。

 

けど、

 

こういったお茶飲み話が、同時多発的に

 

地域の人同士

地域の人と保護者

保護者同士

保護者と教員

教員同士

教員と地域の人

 

の間でできたらいいのかなと思った。

 

 

同じ子ども達に関わる一人の大人として

 

対話する中で

 

子どもの課題や地域の課題、

 

自分にできることできないことが見えてくる。

 

 

 

学校教育という枠を超えて、

 

実は子ども達が学ばなければいけないのは、

 

地域の中や社会にある。

 

 

 

現実的には

 

地域の中のつながりというのが

 

困難な状況であると思う。

 

 

だからこそ、

 

学校という比較的孤立した特殊な場において、

 

子ども達が住んでいる地域というところに

 

常に一本の脚を置いておきたい

 

と思ったお茶飲み話だった。

 

 

 

対話のないところに

 

非難が多い。

 

 

 

ICT導入、少人数教育、道徳の教科化

 

いろいろ子ども達のためにとられる対策があるが、

 

 

子どもの周りにいる大人がもっと話すということが

 

大切だって

 

誰か言ってくれないかな

 

 

 

【後話】

そのたくあんをもらって帰って

 

職員室の机に出して置いたら、

 

私が一切れも食べないうちに

 

完売(笑)