hiromame777のブログ

自分との対話

携帯スマホの生徒指導

今日の生徒指導の連絡会議

 

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◇携帯・スマホに関する指導について

 

司会 各学校ではどんな取組みをしていますか。

 

A校 本校では外部講師の講演を毎年実施しています。

 

B校 外部講師を呼べばいいというものではない。子どもたちに指導したい内容と合致しているか確認する必要があると思います。

 

C校 保護者の危機意識を高める必要があると思います。ゲーム機がわりに持たせるのは簡単ですが、その後の子どもがどう使っているかの危機意識がない方が多いです。

 

D校 携帯スマホのトラブル事例をもとに子どもに指導していければと思う反面、個人情報の配慮もしなければならず、指導にあたっては歯がゆい思いをしています。…

 

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会議中

 

ずっと私が思っていた違和感

 

"当事者の子どもたちの声は?"

 

 

小学校中学年くらいまでだったら、

 

ゲームするとかだったら、

 

家庭でルールを決めましょうという指導

 

で済むかもしれない

 

 

でも高学年以上は、

 

携帯スマホ自体がコミュニケーションの場

 

だったりする

 

 

生徒指導で頭を悩ませる数多くの危険性に

 

すべて対処することができるのか

 

 

 

どんどん進歩していく情報機器に

 

ついていっていない大人が

 

その危険性や対処法について

 

いつまでも「教える」ということができるのだろうか?

 

 

だったら、

 

実際に使っている子どもたちの声を

 

聞いたらいいのではないか

 

 

大学生が高校生に

 

高校生が中学生に

 

中学生が小学生に

 

またはそれぞれの子どもたち同士で

 

携帯スマホを使うときの注意すべき点や

 

使っていて困ったことなどを

 

教えあったり、話し合ったりしたら

 

どうだろう

 

 

子どもの世界を大人が全て見て

 

対応できるほど

 

子どもの世界は狭くない

 

時代の流れは遅くない

 

 

 

子ども同士が話し合う場を設定し

 

子どもたち自身で

 

問題を認識し

 

解決方法を考えていく

 

 

大人がしなければいけないことって

 

こっちかなと

 

やっぱり思った

 

先生にとって◯◯はどんな生徒なのですか?

私はある子に

 

毎年年賀状を出している。

 

今朝ポストに年賀状が届いた。

 

その子のお母さんから

 

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先生、毎年ありがとうございます

 

今年は先生からの年賀状を見て、娘は、

 

「あ、先生からだ。」と言いました。

 

その言葉が、ちょっとうれしそうな表情だったので

 

私はなんか嬉しく思い、

 

それを伝えたいなぁと思って

 

書かせていただきました。

 

今年は、チャレンジをする事を決め、

 

その事を考える日々です。

 

頭の中にある思いを形にする事を目標にして

 

 私達も精神面を支えながらいきたいと思います。

 

 先生にとって◯◯はどんな生徒なのですか?

 

こんな風に声をかけていてくれること

 

本当にありがとうございます。

 

平成二十九年 

先生にとっての幸せを祈っています

 

◯◯の母より

 

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私にとって◯◯ちゃんは…

 

大切な教え子…?(うーん、それはそうだけど)

初めて担任した子…(うーん、それだけじゃない)

一番幸せになってほしい子…(うんうん、近い)

 

特別なことに変わりはない

 

 

強いていうなら

 

 

一番「幸せだ」と思ってほしい子

 

 

世の中で

 

不幸だと思って生きるのが

 

本当に不幸だと思う

 

 

◯◯ちゃんには

 

他の誰よりも

 

幸せだと感じて生きてほしい

 

 

 

ある2年目の先生の投稿

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授業をガンガンやっていても

 

縦軸と横軸がしっかりしていなければ

 

勉強する気にもならないのでしょう

 

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教師と児童の関係

 

児童同士の関係

 

これが児童の学習意欲に直結する

 

 

 

これがひと昔前だったら

 

当てはまらない場合もあったかもしれないが

 

 

今の学校、社会においては

 

多いに当てはまる

 

 

 

こんな考えを

 

私が2年目の時に持てていたら

 

と思う

 

 

 後悔しても何の役にも立たないが。

価値付けられる人から価値を見つける人へ

子どもの良い行動を価値付ける

 

すると

 

その行動が習慣化される

 

 

子どもがピンと指を伸ばして手をあげる

 

「あなたの手のあげ方素晴らしいね」と伝える

 

子どもはまたピンと手を挙げる

 

 

その行動が

 

価値のあるものだと思うようになる

 

 

価値観とは

 

人生を歩んでいく中で

 

自分の生き方を選択していく中で

 

随分と多くの影響をもたらす

 

 

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ここには何もない

 

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高齢化が進んだ山間部

 

地方の中心地ではあるが

シャッターが閉まった商店街

 

今賑わっている他の地域を見ては、

 

「あそこには観光資源があるが、ここには何もない。あるのは山だけだ」

 

などと言う。

 

賑わっている観光地=価値が高い

 

と思うのはよく分かる

 

 

 

 

しかし

 

 

 

 

こういう場面で欠落していると思うのは

 

 

価値を見つける視点が無い

 

または

 

あきらめている

 

という事

 

 

先ずは良いものを良いと思える

 

価値付けられる人であっても良いが

 

 

将来的には

 

今の子ども達に

 

 

価値を見つける人

 

価値を創り出せる人

 

になってほしい

 

 

「ここには何もない」

 

ではなく

 

「ここには自然がある」

 

「ここには歴史がある」

 

と前向きに

 

そして

 

ホントに何もなくても

 

「ここには自分がいる」

 

何かができると

 

思って生きていってほしい

 

メッセージの価値

中学校3年生は受験生

 

それぞれの志望校合格に向けて

 

どんな子でも多少なりとも

 

不安やストレスを抱える時期でもある

 

その受験生に

 

メッセージを書いて欲しい

 

という

 

机の上にA5の紙

 

何か勇気づけるものを

 

この子たちのためになることを

 

と思えば思うほど

 

思考が空回りする

 

挙げ句の果てには

 

リラックスさせるための

 

ジョークばかりが

 

頭の中を占領し

 

収集がつかなくなる

 

 

 

「このメッセージを見た生徒たちは喜ぶのだろうか」

 

「このメッセージは生徒たちの心に響いて何かの助けとなるのだろうか」

 

 

私は良い言葉を探していた

 

 

私が応援したいと思っている受験生が

 

「頑張るぞ」と思えるもの

 

「なるほど」と納得するものを

 

 

でも

 

なかなか決められない

 

 

そこでふっと思ったのは

 

言葉だけでは

 

ダメなんじゃないかということ

 

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「何を」言うかではない

「誰が」言うかだ

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という言葉が頭の中に浮かぶ

 

 

私がどんなに

 

「私はあなたたち(生徒たち)の事を考えてますよ」

 

と言っても

 

日頃そういう行動や言動をしていなければ

 

生徒たちには届かない

 

 

私が思う

 

生徒たちがメッセージを見て喜ぶのに

 

重要な要素は

 

①  教師への信頼度

その子達が好きな先生や尊敬する先生である事

 

②  伝える方法伝える内容

メッセージの内容がその子達にあっている事(興味があるものだという事)

 

 

①だけでもダメだし

 

②だけでもダメ

 

どんなに素晴らしいメッセージだとしても

 

憎むほど嫌いな人からのものであっては

 

喜びや学びは0

 

 

①教師への信頼度も

 

②伝え方伝える内容も

 

0だけは避けたい

 

 

 

それは

 

①×②=生徒にとってのメッセージの価値

 

になると思うから

 

 

 

 

 

何を勉強するの?

と、よく聞かれる。

 

「今度大学院に行くことになりました。」

 

「へー、すごいね。大学院に行って何を勉強するの?」

 

「・・・いろいろ」

 

(笑)

 

 

 

 

 

はっきりと答えられない時点で動機不純なのだろうと思うのだけれど、

 

 

そう簡単に一言で言えることでもない。

 

 

例えば、

 

「社会科の授業について研究しに行きます。」

 

でもないし、

 

「学級経営について勉強してきます。」

 

でもない気がする。

 

 

 

 

大学院の面接で話したのは、

 

「これまで、教員になってからの疑問を解決したい。」

 

「学校現場からは見えない学校、授業、教師を客観的にみたい。」

 

ということ。

 

 

 

教育という

 

あやふやなんだけど

 

とてつもなく大事なものが

 

どうなっているのかを

 

自分なりの切り口から

 

見てみたい

 

 

 

 

ただの何となく感じている違和感だけでは

 

周りにも説明できないし

 

自分でもはっきりとわからない

 

 

 

 

今もっている疑問は

 

2年間で解決できる課題でもなく

 

一生かかっても解決できない課題かなと思うのだけれど

  

「答えがないのが答え」だと

 

実はなんとなくわかっていて

 

それでも

 

考え続けることが必要で

 

みんなで話すことが必要で

 

 

 

何にも気兼ねせず

 

自分の疑問について

 

どっぷりと考える2年間にしたいと

 

今は思っている

 

 

 

 

でも、

 

自分で自分に言いたいことは

 

ただ考えるだけではダメだ

 

ということ

 

 

初任の時に隣の先生によく言われた

 

「んで、先生はどうしたいの?」

 

 

 

私はよく悩む

 

いろいろなことを

 

 

そして、

 

決められなくなる

 

 

そのまま子どもの前に立つ

 

 

1つの正解を求めているからか

 

自分のプライドが高いからか

 

 

 

考えるだけではダメ。

 

自分で、責任をもって決めないといけない

 

決めてやらないといけない

 

それで失敗したら

 

自分で反省していかないといけない

 

 

そうすればだんだんと上手になっていく

 

はずだから

 

 

考えるだけではなくて

 

それを少しでも形にすることを

 

頑張って

 

 

と2年間の私に

 

言いたい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手放す

自分が

 

あと数ヶ月後に

 

ここからいなくなるということが

 

わかっているとして

 

さて

 

いま

 

わたしは

 

何をしよう

 

 

…いやちがうかな?

 

 

何ができるか

 

よりも

 

何をしないか

 

 

わたしが何もしなくても

 

動き出した周りを

 

嬉しい気持ちで

 

そして、

 

ちょっと寂しいような気持ちで

 

見ているだけ