hiromame777のブログ

自分との対話

結果よりプロセス

プロセスにこそ

 

何のために行うのかの目的が

 

反映されると思う今日

 

 

ある場面が目に浮かぶ

 

ある教師のある教室の朝

 

体育館で行われる全校集会のために

 

教室後方に並んで

 

移動する場面

 

 

教師は静かに並んで移動させたい

 

それはなぜか

 

・学校のルールだから、、、否?

・自分のクラスがちゃんと並んで移動しないとバツが悪いから、、、○?

・自分の指導力を評価されたいたら、、、◎?

 

見た目という

 

「結果」にこだわる

 

ルールを強調して威圧したり、

 

忍者だよなどといって遊びにしたり、

 

とにかく何とかして静かに並んで移動すればいい

 

と考える

 

結果重視

 

 

静かに並んで移動する、

 

それは何のために必要なのか

 

それを子ども共有するプロセス

 

が必要なのではないのか

 

むしろ

 

きれいに並んでいることよりも

 

その必要性を考える

 

プロセスにこそ意味がある

 

と感じる

 

教師の価値観が必要なのではないか

抽象度を上げて汎用的に

上田薫(2015)「人が人に教えるとは  21世紀はあなたに変革を求める」医学書院

 

を読み終えた。

 

その後、

 

同じゼミのMさんと

 

研究について話した。

 

方法じゃない

 

方法の前提にあるファシリテーターの技術

 

技術の前にある目的

 

だんだん抽象度は上がるが

 

それゆえに

 

そこを共有することで

 

他の場面にも転用可能なスキルとなる

 

これは

 

ファシリテーター技術も

 

学び合いで学ぶことも

 

同じ

 

 

 

 

 

 

主体的・対話的で深い学びに「より」をつける

主体的な学び

 

対話的な学び

 

は個別であってもいい感じがするが

 

深い学び

 

は1つ、何か到達しないといけない答えがあるような感じがする

 

深い学びに

 

個別があっても良い感じにするには

 

主体的・対話的で「より」深い学び

 

にしたら

 

いいのかなと思う今日

 

価値の共有

何かを学ぶことの意味づけを共有すること

 

価値を共有すること

 

難しい

 

だとしたら、

 

それぞれが自分の人生においての意味づけが

 

できる個人であることが

 

最終的には必要な気がする