hiromame777のブログ

自分との対話

振り返りは

振り返りは、主体的・対話的な深い学びにつながる

 

振り返る→うまくいった嬉しいまた頑張ろうor次はこうしよう<主>

振り返る→これ自体が他者との対話、自己との対話<対>

振り返る→何がうまく行き、何がうまく行かなかったのかor自分はその時どんな気持ちだったのかorその事象には一体自分にとって社会にとってどんな価値があるのか<深>

成長しようとしない

成長しようとしない教師(大人)に

 

成長しようとする子どもは育てられない

 

教師が(子どもの周りにいる大人が)

 

子どもにとっての最大の環境である

 

教師自身が最大の教育カリキュラムである

 

この考えが、正しいとしたら、

 

子どもの成長には教師の成長が必要だ

 

「今までと同じでいい」と同じことを繰り返し行い

 

何にも自身が変わろうとしないのならば

 

子どもを変えることはできない

 

 

自由について考える2017

☆自由ツアーのスタートは坂内先生

 

「自由」と自分勝手は違うのかについて

牛タンの会で半日考える

学校に自由はあるのか?

 

☆次に、長野の学び合いの学校訪問までのバスの中で西川先生に尋ねる

 

学校に自由はあるのか?

その回答

→それは、「リバティ」と「フリーダム」の違いだよ。「リバティ」にも民主的な手続きで決まったルールによるものと、国王の決めたルールっていう2種類あるけど。 私は自分が属してる社会のルールは踏まえた上での自由は学生に保障している。

 

☆そして今回、苫野先生の講座

自由の相互承認の自由は、他人に認められた自由

ルールづくりの経験少ない

 

やっぱり、西川先生のいうリバティと同じ。

それに、ルールづくりの経験が日本人には圧倒的に少ないってことはクラス会議みたいな場が欲しいってことだから赤坂先生が考えていることと同じ。

何より、阿部先生が大事にされている「民主主義」っところに絶対繋がる。

 

自由ツアーの現時点はここまで。

 

東北青年塾 苫野先生

苫野先生のお話を伺うのは2回目

 

今の教育(今の社会)に必要な(必要だと思われる)哲学を研究されている。

 

今回特に心に残ったのは、

 

「ルールづくりの経験が少ない」という言葉

 

ルールは守るもの

から

自分たちで作るもの

 

という思想が学校や日本社会に浸透したとき

はじめて

自由は認められたものになるのかなあと思った。

 

結局、自分たちで作ってないんだから、

承認した感はないわけで、

 

自由の相互承認のためには、

その手続きにもう少し時間や労力を使わなければいけないのではないかと

 

思った。